冬休みの宿題が「ノート1冊埋めてくる」?~手段が目的化する恐ろしさ~

塾長の岩田です。

さて、先日保護者の方から質問が出たことをシェアしておきます。

 

「学校での宿題はしっかりやらせた方がよいのか?」ということです。

 

これに対しての私の思うこととしては、「もちろん!しっかりやらせて下さい」ということです。

だいたい、学校でどういう課題(宿題)がでているかは僕らも把握しています。

それらを見ていると、中3の場合にだいたい入試に繋がる内容が多いと感じます。

「これをやっていれば、入試に繋がる」という感覚です。

こういうものは大いにしっかりと、丁寧にやったら良いと思います。

 

ただ、数年前に何とも身の毛もよだつような課題がでていたことがあります。(伊丹N中学です)

「とにかくノート1冊を埋めてくること」

という恐ろしくブラックな課題です。

多くの受験生が困惑しました。そして”デスノート”を作る不毛な「作業」を強いられました。

「埋めること」がゴールに設定されています。

これは物理的に言うと、「ノートの表面に炭素の粉(シャーペンの芯の粉末)を付着させること」です。

こうして何も考えない子が量産されていくかと思うと、恐ろしいですね。。。

 

学校でよく行われるノートチェックもそうなのですが、行き過ぎると”手段の目的化”という罠に陥ります。

そもそもですが、「ノートって何のためにあるのか?」という話です。

 

ノートって、後から見直して分かるようにするツールのはずです。メモの集積です。

(授業時にとるノートであれば)

 

多少雑でも「自分が分かれば良い」のです。

走り書きだって、いいはず。

カラフルじゃなくてもいいはずなんです。

 

繰り返しますがノートは、「自分が頭にたたき込めるようにするため」の道具です。

ほかに変な要素を持ち込んだらダメだと思います。

 

ましてや、「とにかくノート1冊を埋める」ことがゴール、なんて宿題を出したらどうなるか?

 

・普段なら暗算でやっている式をあえて長くだらだら書く

 →問題を解くテンポが乱れる

 

・ページを稼ぐため、必要以上に行間を空ける・改行する

 →問題の本質を考える以外の部分で脳が疲弊する

 

など、百害あって一利なし、です。

 

ノートは「自分の理解を助ける」という目的があります。

 

ノート1冊とりあえず埋めれば良い、なんて課題が出てしまうと「手段の目的化」が起こり、考えない子が量産されてしまいます。

素直なことは良いかも知れないのですが、何でノートチェックとかが必要なのかな?

ノートって何のためにとっているのかな?

と考えられる子が増えて欲しいなぁと思うことがしばしばです。

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この記事を書いた人

岩田英証のアバター 岩田英証 学習教室サクセス 塾長

生徒一人一人が安心できる居場所としての塾を目指しています。同時に、知的好奇心ややる気を刺激し、互いに高め合える環境を提供することで成長を支えたいと思います。この理念のもと、生徒さんの可能性を最大限に引き出す教室運営に日々努めています。

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